オダギリジョー(俳優)

中次とおきくの雪のシーンは、ここ10年で最も美しいシーンだった。
まさに『せかい』はこういう日本映画を待っていると思う。

小野正嗣(作家)

落ちてゆくものは支えられる。
大地を肥やすもの、人の心を豊かにするもの、
すべてはわたしたちの体を通り抜け、溢れ出し、
わたしとあなたをつないで循環する。
そのことを伝えるのに、おきくに言葉はいらない。
そこに、世界に、おきくがいてくれるだけでよい。
おきくが微笑んでくれるだけでよい。

生方美久(脚本家)

人の感情を表すのに、色も、声も、言葉も、たいして重要ではないようです。すきな人の名前をきれいに書いたあとの反応が、恋をする人を表すすべてでした。

梅沢富美男(俳優)

終始糞尿の話。なのに美しい
なぜこんなにも画面は色鮮やかで
見終わって爽やかな気持ちになるんだろう。
それはきっと江戸の昔、確かに日本にあった物語だからかもしれない
まだこんな時代劇が作れるんだと思うと役者魂が揺すぶられた
そして見ている間中なぜか若いころ彼女と二人で肥溜めに落ちたことを思い出していた
…これ、笑うとこだぜ

加藤 篤(NPO法人日本トイレ研究所代表理事)

臭い物に蓋を、という言葉がありますが、し尿はもともと人間の一部であり、社会で共有するもののはずです。
当時は、当たり前としてし尿を身近に感じられる生活があり、それが日常だったのだと思います。
隠しがちなことを江戸の若者の視点で軽やかに描いています。このときの若者の声をもっと聞きたい、そう思わせてくれる映画でした。
人間も自然の一部であることを気づかせてくれます。

上岡 裕(エコロジーオンライン理事長)

「せかいのおきく」で描かれるのはクソのような江戸の階級社会だ。皮肉にも本物のクソが肥料となって人の暮らしを支えている。現代社会になってもそう変わらない。クソのような権力者が起こした戦争によってクソの価値が見直され、エネルギーや堆肥となって私たちを支えている。そんな時代の底辺に生きる失うものなき若者たち。その青春のたくましさは美しく、パンクだった。

こうの史代(漫画家)

なんとも清らかで稀有な作品。

児玉美月(映画批評家)

こんなにも美しい映画のなかの雪を、ほんとうに久しぶりにみた。
映画における白は、まるでこんな雪の描写のためにこそあるかのよう。
白黒一色の世界が不意に色づく変容の瞬間、わたしたちの「いま」がたしかに繋がる。
思えば阪本順治監督の作品ではつねに、驚くべき転調があったのだ。
これは時代劇でありながら、まごうことなき現代の映画でもある。

指出一正(ソトコト編集長)

私たちは、循環のなかに生きているということを、しみじみと感じさせてくれるとてもよい作品。江戸のまちから、3人の若者たちから、サーキュラーエコノミーとウェルビーイングを学びましょう!江戸の水辺の描写にワクワク。

サヘル・ローズ(俳優・タレント)

【目】という声【モノクロ】という声
この映画は決して【無色】ではない 感情の音色で溢れている
おきくの眼差しがいつの間にか アナタの目と耳元で囁く 懐かしい風情と表現
世界に通用する傑作 まさに『せかいのおきく』

SYO(物書き)

時代劇の敷居をひょいと飛び越える市井の日常劇。
観賞中、「泥中の蓮」という言葉を思い出していた。
糞みたいな世界すら肥やしに、青春の花は咲くのだ。空に向かって、凛と。

東儀秀樹(雅楽師)

とても美しい作品だ。映像の美しさだけでなく心の美しさが観る者に響き、浄化してくれる。
今時、意外性を取り入れて起承転結を大げさにして無駄にハラハラさせる手法が多い中、その振り幅を最小限にしてただひたすらに人の心の純粋さだけが心地よく描かれている。
この映画にサステナブルだとか循環型社会だとかの文言など掲げる必要は全くない。ただ「素敵だ」と感じ、得るものが沢山ある。

原 一男(映画監督)

炭住(炭鉱夫と家族たちが住んだ長屋形式の住宅)で育った私にはこの映画の世界がひどく懐かしい。共同便所、味噌糞が同居していた日々の暮らし。汚穢屋さんも隣に住んでいた。私は何度も涙した。ノスタルジーではない。庶民たる者=私たちが活き活きと生きていける「せかい」はここしかないという阪本順治監督作品世界の到達点に、私は激しく共感し感銘して魂が震えた。2023年度のBest1級の作品だ。

一青窈(歌手)


どんなお偉い侍も武士もただの村人も
もの食って、糞して寝る。
今も昔も変わらない営みを平らな目線で見つめ続けると
そこに普遍的な生きる様が立ち上がり
どんな悩みも穏やかな気持ちで受け入れられる事に気づく。
主人公おきくの眼差しは私の心と繋がり
自分の中にある優しさを呼び覚ましてくれる。
また、不思議と”匂い立つ”映画なのだ。
世界におけるおきくのあり方は
この世界のきおく(記憶)となり
また私たちの私小説でもある。
「世界を知るということは自分を知るということ」
そんな、日本人であることに感謝したくなる名画です。

藤井仁子(早稲田大学教授/映画学)

前代未聞のウンコ出まくり映画!なのに汚くない、といいたいところだがそりゃあまあ汚い。
しかし、この汚さにおいてあらゆる生きものは究極的に平等なのである。
そう悟った瞬間、糞袋としての私の心身を清らかな微風が吹きぬける。
「汚いはきれい」が矛盾ではなくなるこの感覚こそ「せかい」に通ずる窓なのかもしれない。

風吹ジュン(女優)

阪本順治監督の本作品は日本中で声を上げて笑うのが正しい鑑賞法かと思います。
モノクロって時代劇がしっくり来ますし、
江戸弁も心地よく格差社会で生きる長屋は温かく嗅覚でこちら側に問いかけてくる。
サスティナブルか?青春か?
あなたのせかいは?おきくさんから素直と純粋を学ぶ絶好のチャンス!
あのシーン好きだなぁ。

布袋寅泰(ギタリスト)

目を背けたくなるような現実とその先の未来。モノクロームだからこそ描ける光がある。
美しい映像に酔いしれることを許さない、阪本監督の強い意思が貫かれた映画。

堀口茉純(歴史タレント)

江戸がエコな循環型社会であることは良く知られるようになりましたが、下肥買いをここまでクローズアップした映像作品は初めて見ました。シンプルに感激しています。
江戸時代の庶民の日常を覗き見ている感覚になる、新感覚の時代劇映画。貧しくともたくましく生きた、長屋の人々のくらしに興味がある方におすすめします。

松本穂香(女優)

おきくさんの微笑み、正座をする後ろ姿、仕草のひとつひとつが本当に愛らしく、癒されっぱなしの90分でした。
きっと何ひとつ焦る必要は無い、おきくさん達の姿を見て、そんな風に思えた気がします。
ただただ日々を生きる。無理に掴もうとせずとも、大切なものはすでに傍にあるのかもしれません。

三島有紀子(映画監督)

江戸の底辺の生活は残酷だが、汚く、臭く、忌み嫌われても、わしらこれでめし食うとるんやと言わんばかりに大切に糞を掬う姿は、美しくまさに青春じゃないか。そうなんだよなあ。「せかいのじぶん」から「じぶんのせかい」を見つけた者同士だけが一緒に青春という旅に出られる。
底辺から「せかい」を見つめ、人間が肉体ごとぶつかり合い、価値の根幹を探る。パートカラーという手法で時間と空間と階級を超えて現代につなげた阪本版『フェリーニの道』と感じた。

安居昭博(「サーキュラーエコノミー実践:オランダに探るビジネスモデル」(学芸出版社)著者)

おきくと中次の恋愛ストーリーが展開するのに並行し、
江戸の暮らしが垣間見える要素が随所に散りばめられている。下肥や紙屑の商いに見られるように、現代の資源循環に活かせるヒントがあるかもしれない。

山根貞男(映画評論家)

先般、私は胃がん療養中に数日検査入院をした。
その時から、オシッコは紙パンツにしたが、ウンコの方は我慢した。
いざ、入院を終えて自宅へ戻ると、下剤を飲んでもウンコが出ない。
そして数日後、午前中にいきなり爆発した。女房を大変困らせた。
ホッと安心していたら、午後にもまた第二次ウンコ戦争が勃発し、
またしても女房を困らせた。
私は思わず「阪本映画のタタリじゃーッ」と、叫びたくなった。
それほど、今度の映画は面白い。

YOU(タレント)

モノクロのせかいからわきたつ いきる が、まさににおいたって
においが 匂いになって いきるが 活きるになって
おきくのせかいが せかいのおきくになって。
気がついたら
知らずについた垢が、とても滑らかに拭われたように清清としていて
わたしも活きなければ と。
素晴らしかったです。

和田明日香(料理家・食育インストラクター)

白黒の世界だからこそ、とにかく想像を駆り立てられます。色は、光は、におい
は、今と違ったんだろうか。言葉もそう。同じ言葉でも、伝わる意味は違ったん
だろうか。違うこと、変わったことは、わかりやすいけど、変わらないことはわ
かりにくくて、味わい深い。江戸時代好きとして、江戸の生活を見たくて見始め
たけれど、おきくさんたちの力強い生き様に考えさせられることがありすぎて、
結局今の自分の生活を見つめ直していました。

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